頭の中にいる達人様の罵倒に耐えるには自分も達人様になるしかない、という話
新しいことを始めて、しばらくは単に刺激的で楽しいだけだけど、要領がわかってきて上達や効率を求め始めると、頭の中に『達人様』が現れる。
達人様とは、本やネットや身の回りの情報から姿を現して、自分がその分野における有象無象を差し置いておける、たった一握りの高等存在なので高慢になっている。
そして、その道の上達を志す有象無象に自分を崇め敬わせるために、指導や鞭撻といった方法で罵倒を繰り返し、価値観を狂わせたり、苛立たせることで注目させ、釘付けにする。
そういう『達人様』が、私の頭の中にいつもいるという話です。
強迫観念なのかもしれません。
何かに挑戦して頑張っているのに、なかなか成果が上がらなかったり思い通りにいかなかったりしたとき、絶対現れて私を否定するんです。
達人様の罵倒「そんなこともできないんじゃ生きてる意味ないよ」
世の中の人は何でもそつなく平均以上にこなせるか、あるいは、努力するだけでそれに追いつきます。
私は何もかも平均以下で(そう思ってるだけかもしれませんが真実は分かりません)、努力が無駄にならなかった経験のほうが少ない気がするので、自分は人間の出来損ないだと思うことがよくあります。
時々は、『自分は普通じゃないのかもしれない』と感じることは、むしろ自分の強みなんじゃないか? と前向きに考えてみようとすることもありますが、やっぱり世界は大多数のために作られているので、虚しくて憂鬱になって終わります。
達人様はその憂鬱を増幅します。
学生時代は勉強において。今は仕事や趣味において。達人様は私がどうしてもできないことを逐一あげつらいます。
「他の人は遊んでてもできるのに」
「こんなの普通の人ならできて当然でしょ」
「そんなこともまともにできないんじゃ終わりだよ、終わり」
「お前に生きてる価値ないわ。時間の無駄」
私には反論する力がありません。子どもの頃からこうやって自分を踏みつけてきたので、罵倒を無効化する方法が分かりません。
達人様への対抗方法
自分も達人様になることです。
自分が一番得意とする分野で高慢ちきになって威張り散らかせばいいんです。
もちろん、頭の中でです。現実のSNSで知識人ぶったりクソリプ送ることは関係ありません。
頭の中にいる色んな達人様は、どうせその分野でしか息ができません。そいつらを叩き潰して消し炭にするには、そいつらが不得意そうなジャンルで弱みをついてしまうのです。
頭の中は自分の自由です。アイスピックで人を刺せます。
だからこそ達人様が生まれるのですが、だからこそそいつらを踏みにじってやれます。
だから人は、『これだけは絶対得意だ。努力や苦労も全部まとめて自慢だ。誰にも否定させない!』というものを一つくらいは見つけなくてはいけません。
本当になんでもいいです。それがないと身を守れません。
結局「達人様」とは、過去に出会った誰かである
問題集の問題が解けないと、「なにがそんなに分からないの?」と親が迷惑そうに聞いてきました。
学校や塾の先生の中には、まるで『この教科ができないなら人間じゃないよ?』と言わんばかりの熱量で授業する人がいました。
そういう過去の出来事が達人様の原型を作ったのでしょう。
そして今までの人生で出会ってきた色んな人がその原型に肉付けをしていったのでしょう。
でもそういう人たちが本当に「お前生きてる価値ないよ」とか言ったんでしょうか?
言った気がします。言われた気がします。
だって普通、小さな一つの細胞から生まれた頭に生を否定する言葉が自然発生するわけがないので。
誰かが言ったのを聞いたせいに決まっています。
『じゃあ達人様が存在するのは他人のせいってこと?』
そうです。
あるいは、そういうことにしないといけません。
そうしないと生きられない時もあります。
本当は罵倒したり、されたりなんてしたくないんですが、そうしないといけない時もあります。
不公平ですね。